きみがわらえば

教師と主婦と、日々のこと

緊張を作る

今日は、宿題忘れも多く、

返事もなく、

だらだらしていて、

かなりダメダメな日。

 

 

しかし、今日は私も準備不足で、

朝から余裕がなかった。

 

 

自分に余裕がないと

子どもを待たせたり、逆に急かしたり、

「安定」を作れない。

だから、ダメダメを加速させているかも。

 

それが、子どもにとっての「抜け道」になってしまう。

 

 

ずっと緊張しつづけるのは、疲れるもの。

しかし、ポイントは揺らがないように。

 

 

名札は忘れずにつけているか。

靴、ランドセルは丁寧に仕舞われているか。

宿題、家庭学習はやってきているか。

やってきていない子は、どうするか決めているか。

勉強準備をしてから遊びに行っているか。

給食準備で遊ばず自分の役割を果たしているか。

掃除に喋らず集中しているか。

帰る準備は3分以内でできているか。

 

私の中では、やはりここは最低限守るべきところと感じる。

 

 

なぜか。

 

うーん、「なぜか」がいつも弱い。

 

今思うのは、

集団生活を行う上でのマナーであり、

意識して生活することで緊張感が生まれるから。

緊張感は、生活の中のスパイスになる。

 

 

また続けて考えていく。

 

 

そして、緩和も意図的に取り入れる。

 

何事もバランスだ。

 

 

行動が伴わない

ダメだとわかっているのにやってしまう。

 

危ないってわかってるけど、イスでグラグラしたり。

 

今は遊んじゃダメってわかってるけど、遊んじゃったり。

 

 

幼ければ幼いほど、

その傾向は強いと感じる。

 

でも、大人でもこういうとき、ある。

 

 

じゃあなんでやってしまうのか。

 

 

それは、「快楽」を得られるからではないか。

 

結果として怒られたりケガをしたりするかもしれない。

けれど、子どもは目の前の快楽に飛びつき、

その後のことが見えていない。

 

だから、ついつい「快楽」に流されてしまうのではないか。

 

 

 

ということは、逆に、

「ダメってわかってるからやらなかった」

「ダメだと思ったから、ガマンした」

ときに快楽を得られれば、

また快楽を得るために自制していくことができるようになるのではないか。

 

 

しかし、これは難しい。

 

快楽は、本能的な欲求と感じるからだ。

 

単に褒めたり、認めたり、

それだけじゃ足りないと思う。

 

 

そこの鍵は、

他者貢献、自己有用感にある気がする。

 

 

アドラー心理学の本を、改めて読もう。

 

 

小さいけれど、大きなドラマ

今日、ついに給食の全完食を達成した。

はずかしながら、教員人生の中で初めての出来事だった。

 

もちろん、強制したわけではない。

 

昨年度から、手立てを講じていて。

無理しなくていいことも伝えていて。

おかず一つだけ完食、とか、デザートは完食、とかは度々あって。

 

それでも、好き嫌いを超えられなかったり、

食の細さがあったり、

食べるのが遅かったりして、

なかなか達成できなかった。

 

それが、今日、ついにできた。

 

 

一昨日「本気になれない」と言っていたIくんも、私が声をかけなくても、超真剣に食べていた。

 

いつもまんべんなく丁寧に食べるから、なかなか減らずに残していたNちゃんも、時間ギリギリで食べきった。

 

好き嫌いが激しくて、お肉もお魚も野菜も嫌いと言っていたRちゃんも、自分で進んで最後に残してしまっていた野菜を食べきった。

 

周りには、

「がんばれ!」「あともう少し!」

「行ける行ける!」って、

応援するたくさんの子どもたち。

 

 

 

「本気」を生み出せずに悩んでいた1学期。

 

まさか2学期開始4日で、

こんな光景を目にするとは。

 

夏休みにリラックスして、気持ちが落ち着いていたということもあるだろう。

体が成長したということもあるだろう。

 

でも、「褒め」て、「その気」にさせて、

少しだけ背中を押すことの効果を感じている。

 

できた、やったと喜ぶ子どもたち。

たまらなく愛おしい。

自分にも、こんな気持ちを感じる日が来るなんて思わなかった。

 

 

ほんの一つの学級の、

ほんの小さなできごとだけれど、

子どもたちの気持ちが動いた、

大きな大きなドラマだと思った。

 

 

 

タイマーが有効な子

Sくんは、入学前から

「行動がおそい」子だったらしい。

 

ワンテンポどころじゃない。

 

体育の移動で廊下に並ぶとき、他の子が並び終わっているのにSくんはようやく体育帽子をかぶりはじめる。

 

他の子がノートに課題を書き終わるころ、ようやくノートを出す。

 

そんな感じ。

 

 

でも、Sくんは1度だけこう言って泣いたことがある。

 

「みんな、遅い遅いって言う…」

 

確かにらSくんは遅い。

でも、彼にとっては、自分でもどうして遅くなってしまうかがわからないし、どうやれば早くできるのかもわからない。

なのに、友だちに「早くして!遅い!」と言われる。

それが、涙が出るほど悲しいのだ。

 

昨日、できないことを怒ってできるようにするのって…と書いた。

Sくんの場合も、同じだなと思った。

 

 

じゃあどうすればいいのか。

 

彼の姿を見ていると、時間の感覚が人とは少しズレているように感じた。

言い換えると、究極のマイペース。

周りのことは、関係ないぜって感じ。

自分のこと以外に意識をむけるのが難しいと言えばいいのかな。

 

 

色々ためしてきたが、

今回は「タイマー」が有効だった。

そして、飽きっぽいので、「区切る」ようにした。

 

「〇問目まで、3分以内でやっといで。よーいどん!」と言って、でかめの見やすいタイマーを目に付くところに置く。

(もちろん、3分以内でできるであろう量を提示する)

 

これの繰り返し。

疲れたら休憩タイムを取る。

 

 

驚くぐらいのスピードで、どんどん問題を解いていくSくん。

 

 

・時間の経過が目に見える形でわかったこと

・ゲーム感覚で取り組めたこと

(時間オーバーしたら、給食は先生がもらっちゃうよ♪(冗談)などのペナルティを出した)

 

この二つがハマったものと思われる。

 

 

今日ちょっと失敗したのは、価値付けをきちんとできなかったこと。

 

 

集中してやる→終わる→いい気持ち!

 

この価値を落とし込むことで、

タイマーが使えないときも機能させることができるのではないか。

続けて検証したい。

 

なんだか、私も穏やかな気持ち。

その気にさせるために褒める

一学期からずっと気になっているIくん。

「まぁこんなもんでいいか」と、

なかなか「本気」「全力」になれない。

(体力的なものや家庭的な要因もある)

 

夏休み明けの昨日は、

友だちに教えてもらっても   ムッ。

私がちくちく言うことにも  ムッ。

 

なので、今日は方針をかえる。

 

ほめほめ作戦。

 

ただ褒めるんじゃなくて、「その気」にさせる。

そして、「Iくんが本気でやったからみんなが良い気持ちになった」と、貢献度を称える。

 

実は、昨日からちょいちょいやってて、

今日、給食でついに主役になる。

 

表情の乏しい子だから、どう思ったかは読み取れなかった。

でも、「本気でやったらいい気持ちになった」事実を積み上げていきたい。

 

「その気にさせられていた」ことが、知らない間に「最初から出来ていた事実」になればいい。

 

できていないことを叱ってできるようにさせようとするのって、もしかしてすごく無意味なことかもと思った2学期2日目。

2学期

・朝、黒板に「〇〇してみよう」と書いても、あまり効果がない

 

・「あいさつゲーム」(大野陸仁先生)で、「久しぶり!夏休み何してた?」をやる。

価値付け→進んで声をかけてる人がたくさんいた、1人ぼっちの人を誘ってた、声を掛けられて嫌だという人がいなかった

なぜ、これらがいいのか?

 

・カード並べゲーム

色のヒントはいらなかったし、色数も少ないほうがよかった

なんで完成できたの?教えてくれた人がいた、友だちの文字も見た

勉強は、1人でもできる。

でも、みんなで考えるのって楽しいし、一人じゃできないこともできるようになる。

学校で勉強する意味は、そこにある。

でも、それだけじゃない気がする。

 

 

全体的に、自分の中の教育観、価値観が定まっていない。そこを意識的に積み重ねていくことが必要だとわかった。

はじめました

 

 

小学校教師をしています。

 

既婚(子なし)、ときどき主婦です。

 

 

思いを整理する場がほしいなぁと思っていて、

今回ブログをはじめてみました。

 

 

公開しているにのは自分なりの考えがありますが、

まぁ割愛します。

 

 

 

 

ごくごく平凡ないち教師の日常ですが、

よろしければお付き合い下さい。